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江戸押絵羽子板

羽子板の歴史は古く、室町時代まで遡ります。

その昔、「毬打(ぎっちょう)」という、ゲートボールのスティックのような形状の杖で木製の毬を打ち合うダイナミックな競技が宮中や庶民のあいだで楽しまれていました。


やがて木槌の頭に紐をつけ、ブンブン振り回して木球を打ち合う、よりアクティブな

「ぶりぶり毬打」に変化します。

また、「こきのこ」と呼ばれる羽根突きにも変化しました。

羽根の形をトンボに見立ててトンボが蚊を食べる益虫であることから、正月に羽根を突くと、夏になっても蚊に食われることがないと長い間信じられてきました。


そして江戸時代からは、子どもが生まれた正月に祝儀物として羽子板は位置づけられていきます。


伝統的な押絵羽子板は、歌舞伎の演目に登場する主人公や舞踊姿の美女の衣装や髪型、化粧などの決まりごとに則りつくられています。


正式な伝統の技法と型で制作された羽子板を当店でもご案内しております。


東京都指定伝統工芸品 江戸押絵羽子板「八重垣姫」 豊山作

歌舞伎「本朝廿四季」の一場面。八重垣姫は武田家由来の兜と赤い着物に菊模様の着物。諏訪湖を飛んで親の危機を救う場面。


「道成寺」 やまとや作

歌舞伎、能楽、文楽の演目「京鹿子道成寺」に登場する白拍子。「安珍清姫伝説」を元にして作られた作品。ひとりの男性に一途に恋する場面を表している。


「藤娘」 やまとや作

大津絵の画題。歌舞伎舞踊にも登場する。

大津絵・・・近江国(滋賀県)大津市で江戸時代初期から名産としてきた民俗絵画で、東海道を旅する旅人たちの間の土産物・護符(お守り)として知られてきた。

藤娘は、黒の塗り笠に藤尽くしの衣装で、藤野花枝をかたげている姿。



参考:平凡社「有職故実の世界」・日本人形協会小辞典より・「江戸押絵羽子板リーフレット」ほかより


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